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Vol.1 吉原義人 刀鍛冶


                          吉原義人
2012/06/21
刀鍛冶 吉原義人
日本刀は芸術品。機械で作れる芸術品はない。
  • 名前
  • : 吉原義人(よしはら よしんど)
  • 生年月日
  • : 昭和18年2月21日
  • 出身地
  • : 東京都葛飾区
  • 職業
  • : 刀鍛冶/日本刀鍛錬道場代表
実績 : 伊勢神宮の御神刀(20年に一度の勲章)の指名を3度受ける
:メトロポリタン美術館、ボストン美術館が吉原の作刀を買い上げ展示(刀匠として唯一)
:テキサス州ダラス市名誉市民
出版書籍 : 1987年1月:英文版 現代作刀の技術 – The Craft of the Japanese Sword
:2002年10月:英文版 現代刀の旗手たち – Modern Japanese Swords and Swordsmiths
:2006年2月:英文版 日本刀と研ぎ- The Art of Japanese Sword Polishing
:2012年6月:The Art of the Japanese Sword
経歴 : 昭和40年/文化庁認定刀匠
:昭和47年/高松宮賞はじめ連続上位の特賞を総嘗
:昭和57年/無鑑査認定(文科省の鑑査なしで刀鍛冶の認定が可能な稀少な認定資格)
:日本刀剣保存協会新作名刀展審査委員
:日本職人名工会殿堂名匠

天才刀鍛冶


                          どんな世界でも超一流と呼ばれる卓越したプロフェッショナルがいる。

「一流」という言葉を辞書で引くと、「その分野での第一等の地位。」と出てくるが、刀剣業界における吉原義人師匠は、まさに「超」がつく一流である。刀鍛冶として、さまざまな賞歴を持つほか、最高勲章である20年に一度の「伊勢神宮の御神刀」に、実に3度の指名を受けている。刀だけで生活が出来る刀鍛冶は日本国内に30人程度と言われる刀剣業界の厳しい状況下で、現在でも6人の弟子を育てながら着実に収益をあげ、積極的な海外展開や出版活動を行うなど、日本刀文化の普及にも努めている。

日本刀一本にこだわり続け、頂点を極めた吉原師匠から、次代の若者に向けたメッセージは、「好きな道、興味や誇りが持てる道を選ぶこと」、そして「自ら選んだ道を一生懸命に続けること」と、吉原師匠自身が刀鍛冶人生の中で実践してきた、明確且つ、仕事に対する姿勢や意義を問われる内容だった。

今回のインタビューの中では、国際競争力と共に失いつつある、日本人の誇りや強さを取り戻すための「ヒント」も、多分に含まれていた。指導する立場にある方、指導を受ける立場にある方、それぞれの視線で、この人物の声に耳を傾けてほしい。

刀鍛冶:吉原義人(よしはらよしんど)へのインタビュー

Q:刀鍛冶の仕事とは?

一言で言うと日本刀を作る職人だね(笑)。
包丁を作る人は包丁鍛冶、鋏(はさみ)を作る人は鋏鍛冶、他にものみ鍛冶とか、鉋(かんな)鍛冶とか、いろんな鍛冶屋がいて、それぞれほとんどが専門で作っている。その中でも日本刀を専門に作る職人が刀鍛冶だ。まあ、俺は日本刀専門だけど、鍛冶の仕事そのものが好きだから、包丁、鋏、鉋、のみなど、若いころからなんでも作ってきたけどね。

Q:日本刀随一の名門/吉原家の歴史について教えてください。

俺の祖父で初代国家(くにいえ)になる、吉原家のおじいさんが若いころから刃鍛冶をやっていて、たしか大正8年に茨城県筑波山のふもとから、東京で一旗あげようって月島に鍛冶場を作ったんだ。その頃は月島にも鍛冶屋さんが沢山あって、今でものみとか包丁とか作っている鍛冶屋が何件かある。


                          祖父も最初は包丁や鋏なんかを作っていたんだけど、センスが良かったのか、そのうち刃物の世界で有名になって、日本刀の世界、刀鍛冶屋の世界に入っていったわけだ。昔から刀鍛冶っていうのは鍛冶屋さんの最高峰と認識されていて、鍛冶屋はみんな刀鍛冶に憧れていたからね。でもその後、大正の何年かにね、月島に津波が来たんだよ。この間の東日本大震災のように、人が亡くなったりすることはなかったそうだけど、月島一帯に水が入って、せっかく作った鍛錬所も結構な被害に遭ってしまってね。その後、月島の鍛冶場をたたんで今の葛飾区に移ったんだ。俺の父親もその頃、大正の終わりぐらいから刀の世界に入った。

親父も祖父と一緒に一生懸命に刀鍛冶をやっていたんだけど、終戦になる昭和20年から、日本では刀鍛冶ができなくなった。終戦と同時に、アメリカさんとの決まりで、その後10年間くらいは日本刀を作っちゃいけなくなってしまったんだよ。そんなことがあって、親父は別の仕事をやらざるを得なくなってしまい、昭和30年ごろになって、刀鍛冶を再開したのは、祖父と、まだ子供だった我々兄弟だったんだよ。
俺が昭和18年生まれで、刀鍛冶を再開したのが昭和30年だから、修行を始めたのは12~13歳くらいだな。 修行って言っても、まだ子供だったから、大したことはできない。「吹穂」って言って穂を吹いて火を起こす作業とか、祖父の「お手伝い」みたいなことを、小さいころからたくさんやったんだよ。

俺も弟の荘二も、小さいころから刀鍛冶の仕事が身近にあって、祖父のお手伝いをしているうちに自然に身についたんだな。祖父の仕事を見ているのも、刀鍛冶の仕事も本当に好きでとにかく夢中でやった。それで、今でもこうしてやっているわけ。で、吉原一家は東京都の無形文化財にもなれたわけだ。

Q:1人前の刀鍛冶になるための課題は?

具体的な課題はない。とにかく目で見て体で覚える。

だいたい、日本刀として形になる作品が創れるまで15年って言われているけど、それは人それぞれ。
15年かかってもダメな人はダメだし、上手な人は5年である程度できるようになる。
刀鍛冶に入ってから最初にやらされることは炭を切ることからで、「炭きり3年」って言葉を聞いたことないか?
日本刀の鍛錬に使う松の炭を、鉄や鋼に火が回りやすいように、細かく使いやすい大きさに切る仕事だ。その「炭切り」しているのをとにかく見て、そのうち手伝わせてもらえるようになって、少しずつ覚えていく。最初からは、なかなか叩かせてもらえないんだよ。

まあ、うちは早い方で1~2年ほど「炭きり」をやると、「先手」っていうのをやらせてもらえる。親方が鉄を赤くして、金敷きって台の上に置く。それを指示に従って、呼吸を合わせて、親方が鉄を伸ばしたり、ひん曲げたりしているところを、相方として叩くんだよ。後はとにかく目で見て体で覚えるのみだ。具体的な課題なんていうのはないんだよ。 毎日毎日、親方がやっていることを真剣に見て、「先手」としてやって、少しづつ体で覚えてく訳だ。人がいないときに練習するなんて話もあるかも知れないけど、刀鍛冶だって、大工だって、板前だってさ、「勉強のため」なんて理由で材料は使わせてもらえない。どんな仕事でも素材は大事で、お金がかかるわけだから、やっぱり一生懸命親方を手伝いながら、見て必死で覚えるしかないんだよ。

Q:一流の刀鍛冶に必要なスキルは?

腕はもちろん重要なのはセンス、心構えもセンスのうち


                          やっぱり基本的にはセンスだね。鍛冶屋の腕ももちろんだけど、日本刀は芸術品だから、美しさに対するその人のセンスが一番大事。センスにもいろいろあってね、日本刀の形の良さを見極めるセンス、鉄の質を見極めるセンス、それから刀に波紋を入れていくセンスもある。それに鞘(さや)、鍔(つば)、柄(つか)などその全部のその美しさに対するセンスが重要なんだな。腕(技術)はそれを形にできるために絶対に必要なスキルだから、その2つが一番大事だな。それと、心構えも大事だ。それもセンスのうちっていうか、技術やセンスと心構えは別だって人もいるけど、職人としての探究心とかはもちろん必要な要素だ。

Q:日本刀の価値はどこで決まるか?

大事なのは全体のバランス。
いつも納得がいくまで鍛錬することが重要

日本刀の価値を決める要素はたくさんあって、どれか一つじゃダメなんだよ。まずは素材の選び方。「地金」っていうんだけど、刀鍛冶は材料である「鋼」を作るところから、鍛錬、仕上げまでほとんど全部の工程を自分でやるからね。「地金」がよくて、鍛錬の仕方がよくて、「形」がよくて、それにあったいい形の波紋が入っていて、日本刀として全体のバランスが取れているのが「いい刀」だ。いつも納得がいくまで鍛錬することが重要だね。

これまで刀鍛冶をやってきて、その時のキャリアで技術やセンスの差はあったかもしれないけど、自分が納得するまで鍛錬したものでないと、完成させることは出来ないんだよ。 なかには「これでいいか」とか、「今回は少しよくできたかな?」とかで、納得しちゃう人がいるかもしれないけど、俺はいつも納得するまで鍛錬する。まあ、出来上がりがいつも必ず一緒かって聞かれると、人がやる仕事だから、多少は違ってくるだろうけど、そういうのがまた面白いんだな。

Q:“ものづくり”の機械化について

日本刀は芸術品。機械で作れる芸術品はない。

日本の製造業は元々、職人達が支えてきたわけだけど、最近ではどんどん機械化されているよな。
刀剣業界は基本、みんな「手作り」だから、完全に機械化っていうのは、おそらく今後もできない。
でも、「先手」として叩く作業とか、一部のことは機械化している鍛冶さんもいるんだよ。うちはお弟子さんたちがいるから、「先手」として叩くのもぜんぶ手で叩いてやっているわけだけど、1人でやっている刀鍛冶さんは全部を一人では叩けないからね。「機械ハンマー」を使ってやっているんだよ。そういうところはしょうがないと思うけど、やっぱり基本的には手でやらなくちゃね。特に日本刀を創るってことは、芸術品をつくるわけだから、やっぱり「手作り」を基本として残さなきゃならないよな。芸術品を機械で作るってイメージは出来ないだろ?

そもそも手作りの基本っていうのが、俺たちが子供のころにはあった。小学校で、鉛筆なんて、みんなカッターを使って手で削るのが当たり前だったけど、今はみんな機械。そもそもシャーペンとかに変わって、鉛筆を使う子自体が少なくなってきているしね。「刃物は危ない」って、子供に使わせなくなっちゃう。刃物だけじゃなくて、彫刻刀とか、いろんな道具を使うことができない子ばっかりになっちゃうんじゃないかって、正直心配だよ。
たまに手を切ったりして、痛い思いをしたりして、使い方もわかってきて、手先も器用になっていくんだな。 「刃物は危ない」って、なんでもやらせなくなっちゃうと、もともと日本人が得意だった手先の器用さや、手先の仕事の基本がなくなっちゃうよ。そういうのが一番心配だな。

海外での展開について

きっかけはファンからの要請。
初めの仕事は大学構内での実演


                          アメリカやヨーロッパには、日本刀好きな人がたくさんいる。海外展開したきっかけは、昔ロサンゼルスで、アメリカの「日本刀愛好家」が集まる会があって、ニューヨークや、テキサス、他にもシアトルやサンフランシスコ、いろんなところから、200人くらい集まって、俺も日本刀を少しでも広めようって考えていた時に、「ぜひ、アメリカで刀を創って見せてくれ!」っていう機会があってね、1970年代の前半に俺自身がアメリカに行って、実演したんだよ。1ヶ月間、テキサス州のダラスにある大学の構内でね、愛好家たちが大学の許可をとって仕事場を創ってさ、そこで日本刀作りから、研ぎまで、全部できるように職人を連れていったってわけだ。
メトロポリタン美術館や、ボストン美術館に展示されているのは、そこで作ったものを是非!っていうから、買い上げてもらったんだよ。別に注文されて作ったわけでもないんだけど、えらく気に入れられてね。(笑)。
海外でも日本でも、日本刀を買いたいって人は、昔からの日本の文化や武士道等に魅かれている人が多いんだな。特に日本刀に対して強い憧れがあって、自宅に一振り置いときたいとかさ・・・。

アメリカやヨーロッパではそういう人が多いんだ。お客さんの数は日本と海外と半々ぐらいだけど、最近では海外の方が少し多いぐらいだね。サンフランシスコとシアトルにある鍛錬所は夏でも涼しくて、仕事がしやすいこともあって、今では夏場の7月~8月はこっちの鍛錬所を閉めて、向こうで仕事をするんだよ。
海外から注文があったものを、こっちで創って納品することが多いけど、向こうで注文を受けて創るってこともある。
でも、材料は、やっぱり日本のものじゃなくちゃできないからね。全部こっちから持ってかなくちゃなんない。
向こうで創りたくても数が限られるし、基本はあくまでもこっちってわけだ。

刀鍛冶をビジネスとして考える

刀鍛冶一人一人が利益を得るには、
コスト云々より日本刀文化のファンを増やすこと

うちで作る日本刀は300万円~400万円。注文の内容によってはもっとする。1本の日本刀を作るコストってところで考えると、人件費以外のところでは原材料費、炭代、仕上げの研ぎ。そういうのだけでも、最低50~60万はかかるわけだ。それに職人の人件費や技術料、鍛錬所の維持費なんかがかかる。
日本刀ができるまでに、基本的な刀の鉄の部分を作るまでで、だいたい2~3週間、そのあと研ぎで2~3週間、鞘(さや)とか、鍔(つば)とか、柄(つか)とかを合わせるのに、また2~3週間かかる。さらに装飾を凝りたい人は、もっと時間がかかるから、やっぱり一番かかるのは鍛冶の人件費だな。注文をもらってから、待ちの時間も考えるとシンプルなものでも最低半年間~1年間。凝るものだと納品まで2年間くらいかかる。知らない人にとっては、1年間もかかって、1本400万円と言われても、ピンっとこないかも知れないけど、それだけ手間をかけて作る芸術品だから、決して高い金額だとは思わない。

刀剣業界を盛り上げて、それぞれの刀鍛冶がビジネスとして利益を出すためには、コスト云々じゃなくて、日本人の昔からある文化というか、日本刀の魅力というか、そういうことに興味を持つ人、愛好家を増やさないといけない。皮肉なことに、最近では日本人よりも、海外の人の方が興味を持つ人が多くて、「サムライ精神のお守り」だって、理解してから、来てくれる。嬉しい半面、さみしさもある。日本刀っていうのは芸術品だし、武士文化の時代から日本人にとってのお守りであり、心の拠り所であって、すごく大事なものなんだ。特に若い人に、そういうことを理解してもらうことと、日本刀に対する興味をもってもらえるような活動を、俺たちがやらなくちゃならない。

書籍の出版について。

海外にファンを作ることで、
日本人の興味と誇りを取り戻す


                          日本刀に関する書籍の出版をしているのも、そうした日本刀の普及に向けた活動の一環で、興味を持ってくれる人がいるし、俺自身が書きたいから書いてる。これまでに4冊出していて、2012年の6月に出版した4冊目がこれ(The Art of the Japanese Sword/米国タートル出版・吉原義人監修)なんだ。良い紙を使っているだろ?ちなみにこれまで出した3冊も含めて、全部英語版。日本国内での発展はもちろん大事だけど、世界に発進した方が広まるには早いんだよ。海外にたくさんファンを創ることで、日本人が誇りを持てるし興味も持つだろ?
出版した書籍は日本でも海外でも買えるけど、海外の販売部数の方が圧倒的に多い。今回のやつは、これまで出してきた本の読者の期待で、作刀の工程から何からぜんぶ盛り込んでいる。そうやってまた広まっていけばいいよな。

改めて日本刀の魅力とは?


                          日本刀は芸術品としても、精神的なお守りとしても素晴らしいもので、俺達刀鍛冶にとっては本当に大切なものだ。

素晴らしい文化を守って、素晴らしいものを創っているという強い自負がある。これは勉強しないとわからないけど、技術的にも本当に奥が深くて、彫刻など、他の芸術品とは違って日本刀は鋼の素材そのものの善し悪しから、仕上がりの形まで全部が観賞できる。そういった意味で、本当に奥が深いものを創っているって実感が持てるし、創れることが楽しんだ。それが一番の魅力だな。

それと職人は退職ってものがないから、ずっと現役でいられる。俺の場合はあと20年・30年っていうと自信ないけど、80歳くらいまではやりたいね。現役が面白いから、続けていきたい。
刀を創ること自体がほんとうに好きで、好きなことを続けていきたいし、続けるために必要なことをやるってことだ。

次代の日本を担う若者に一言

自分の好きだと思うこと、
興味や誇りが持てることを見つけて、
とにかくそれを一生懸命に続けること。
辛くても楽しくなるまで一生懸命やることが大事。
どんな職業でも、それは一緒だろ!

<記者:HIDE>

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