まえがき
クラフトビール(CRAFT BEER)と称される、ビールがあるのをご存じだろうか?
英語で「CRAFT」とは、手工芸品・民芸品であり、クラフトビールとは、ビール職人の知識とこだわり、独自の原料や製法・技術によって造られた、手造りビールを指している。日本発のクラフトビールブランドである“COEDO”は、世界の2大ビールコンテストである、EUROPEAN BEER STAR(ヨーロピアンビールスター)、World Beer Cup(ワールドビアカップ)でそれぞれ金賞・銀賞を受賞、またiTQi(International Taste & Quality Institute/国際味覚審査機構)で、日本ブランドとして初となる、三年連続の三ツ星、世界でも7例目となる「クリスタルテイストアワード」を受賞するなど、世界中から高い評価を受けている。
“COEDO BEER”を展開する株式会社協同商事は、1975年に産地直送の有機野菜販売からスタートした会社で、“COEDO BEER”は、もともとは“小江戸ビール”という地元の地ビールブランドだった。
1994年の規制緩和((ビールメーカーの最低製造量が2,000klから60klに引き下げられた)により、全国で急増した地ビールだが、そのブームは数年で去り、様々なブランドが消えていく中で、“COEDO”が世界中から評価を受けるグローバルブランドまでに成長した。その背景には、さまざまな危機を乗り越える職人達の研究と努力、そして勝ち残りをかけ、入念に計画・実行されたマーケティング戦略が存在した。
継続か?撤退か?の判断まで迫られ、窮地に立たされていた地ビールを、世界的ブランドにまで育てた、朝霧重治氏の言葉には、経営者であり、また心からビールを愛する職人(朝霧氏は自身を職人として認めていないが)としての強いこだわりと責任感が感じられた。経営者と職人、両方のエッセンスを感じた朝霧氏へのインタビュー。ぜひご一読いただきたい。
株式会社協同商事コエドブルワリー・代表取締役社長:朝霧重治氏インタビュ-
Q:「小江戸ビール」が誕生した背景を教えてください。
当社(株式会社協同商事コエドブルワリー)は、もともと有機栽培無農薬野菜を作る農家と共に作り販売する商社であり、1975年に川越の農家と提携して、産地直送の農作物販売事業からスタートしています。当社では、化学肥料が全盛だった1970年代から、麦を緑肥として利用し、農家と連携して有機農業に取り組んできましたが、麦は対面積当たりの収穫量が低く、採算性も低いため、人口の多い関東圏に多くの野菜を作り、提供する土づくりの為の植物と考えられていて、食料品としては活用されていませんでした。そんな状況から、麦を食品に加工して、高付加価値化を図る、これが地ビール「小江戸ビール」の始まりです。
Q:いち早く地ビール市場に参入していた?
ご存知の通り、その当時は法的な規制が厳しかったため、即座にビール事業への参入はできていません。
いろいろと検討した結果、最低生産量(=規制)を超えた規模で造ればいいということになりました。とはいえ、ビールを造る素人が、いきなり大規模展開する、というのは得策ではないため、そこでまず、流通を勉強しようということになりました。ただ、当時はお酒の流通に対しても非常に多くの規制があって、酒屋や問屋の免許を取るのも容易ではなかったため、その中で取得可能な免許として、輸入の免許を取り、お酒・アルコールの輸入・販売から開始しました。
Q:規制緩和になった当時(1994年)の地ビール市場とは?
当時の地ビール市場は、ビールメーカーというより、いつの間にか観光産業になっていました。
また、そもそも地ビールという単語は存在せず、「地酒」にならって、様々なメディアで「地ビール」と言い始めて広まりましたが、もともとは「マイクロブルワリー=小規模醸造所」というのが正しい解釈です。地ビールの理想論として、その土地の麦や素材を使った個性的なビール、という考え方がありますが、原料となる麦を麦芽にする産業が未整備であったこともあり、その理念はすぐに頓挫してしまいました。また、地域経済の活性化を必要としていたことも背景にあり、より観光と結びついて、サービス産業としてスタートした企業が多かったため、お土産や地域の特産品的な取り扱われ方になっていました。当社の地元である川越は東京から少し離れた、歴史的情緒のある町として、関東の代表的な観光地であったことと、規制緩和によって、参入がしやすくなったこともあり、そもそもの目的でもあった農産物に付加価値を付ける地ビール事業は、観光地モデルで参入することになったのです。
Q:小江戸ビールはどんな地ビール?
さつまいもからビールを造った。
九州では、さつまいもを原料に、焼酎を造っていることをヒントにして、川越で収穫されるサツマイモをビールの原料に使えるのではないか?という視点から始まりました。特にB級品として破棄されていた規格外のサツマイモの有効活用です。サツマイモを使ったビール=正確にいうと発泡酒(※日本の酒税法ではサツマイモはビールの原料として認識されていないため)を、観光に来るお客様に、美味しくて、インパクトのあるビールを造ろう、というのが我々の地ビール事業の始まりです。「地ビール」の名の通り、地元の原料を使って作っていた地ビールが少なかったため、
本当の意味での地ビールは、我々が走りだったと思います。これまでになかった「サツマイモ」を原料にしたビールという発想と、地酒の日本酒の蔵元がなくなっていた時期でもあったため、販売店様にも受け入れられ、また手前味噌ですが、地ビールとしての品質も担保していたため、お客様のウケも非常によく、当時の地ビールブームに乗って、川越市の郊外で経営していた工房兼レストランの業績はかなり好調でした。ブームが去った後も、その規模感でやっていれば、事業として今でも十分に成立していたと思います。
Q:「地ビールブームが去った」とは?
多くのブルワリーが直面した問題ですが、規制緩和からほどなくして、地ビールブームはあっという間に過ぎ去ってしまいました。反省点はたくさんあると思います。一番の問題は、日本にビール職人が少なかった状況下で、規制緩和により、本来は熟練した職人の技を要するビジネスを、全国各地で素人的にスタートさせてしまったということ。小規模ブルワリーは、オートメーションではなく手仕込みですから、当然ながらビール職人が必要になりますが、ブームに乗って、昨日までビールを造ったことがない人が、いきなりビールを造って販売していたようなもの。中華のシェフがいきなり、和食を作り始めた状況と同じで、とうぜん美味しいビールは造れない。ビールとしての品質が追い付いていない状況の中で、小規模販売を理由に、観光地価格で販売をしてしまったため、お客様の満足が得られず、すぐに正体がばれてしまいました。
観光地ですたれてしまった「地ビール」を、観光地価格で地元の人が買うわけもありません。そうした状況からそれほどの時間を要さずに、地ビールはすたれてしまったのです。
Q:「小江戸ビール」が直面した問題とは?
一つは好調だった時に生産量の拡大が必要と判断し、大規模工場を作ってしまったことです。現在ではじゅうぶんに稼働している工場ですが、その当時、レストランに併設しているパブブルワリーとしての規模から考えると、数十倍の規模の工場で、莫大な固定費がかかり、単純に赤字を垂れ流してしまう、まさにそんな状況でした。
その他の要因として、その当時、日本経済はデフレ化が進んでいたこともあり、大手メーカーから発泡酒が投入され始めたタイミングでしたが、発泡酒に対する消費者の評判が、安かろう・まずかろうという非常に悪い状況でした。当社のビールは、前述の通り、ビールの原料として認識されていないサツマイモから造っていたため、商品カテゴリーとしては「発泡酒」であり、「あれ、実は発泡酒らしいよ」と、消費者の安かろう・まずかろうのイメージと一色単にされてしまいました。さらに、通常使わない原料である、サツマイモを使った地ビールがキワ物的な位置づけにされ、徐々にお客様は離れていきました。また、事業開始当初から、ドイツよりブラウマイスターを招き、社員として働いてもらうことで、技術導入と共に本格的なドイツスタイルのビールを醸造していましたが、サツマイモを使用していないこれらのビールについても、「芋を使っている」と誤認識されてしまっていたような状況。地ビールブームの終焉と同じ時期に、この状況が起きてしまい、まさに2重苦となりました。
Q:ピンチから脱却するために取り組んだことは?
「地ビール」のイメージから、どうしても脱却をしなければならないと判断し、味もブランドもすべて造り直そうと決意しました。ただ、そこにはさらに大きな罠が潜んでいました。残念ながら、マーケティング的な視点が欠けてしまっていたのです。
Q:マーケティングに失敗してしまった?
地元の観光名産品としての規模であれば十分でしたが、デフレになった時にも大手メーカーと競争できる価格帯を実現しようと躍起になっていました。当時の大手メーカーの発泡酒の価格は350ml缶で140~145円程度で、そこをベンチマークしていましたが、それは蓋をあけてみれば、単純に工場を稼働させるためだけの価格設定で、利益は薄く、事業としての意味をまったく成していない状態でした。小規模ブルワリーである我々がマスプロダクションで、既存の大手メーカーと同様のことをやっていては、当然のごとく消耗戦となり、疲弊するだけ=つまり事業として意味がないことに、後になってから気づいたのです。もともとビールの高付加価値化ということをモットーにしてやっていたのに、こんな大きな工場を作ってしまったせいで、稼働率を上げるため、赤字を埋めるために、といった理由で、いつの間にかブルワリーとしてのポリシーも変わってしまっていたのです。
マーケティングの失敗は数値に表れ、2003年に副社長となった時には、ビール事業が大変厳しい状況であることは、はっきりとわかりました。ブランドの立ち上げから7~8年もたって、事業として独り立ちできていない状況は非常にまずい、撤退か?継続か?の選択まで迫られましたが、我々は消費者にどんな価値を提供していくのか、何に集中するべきなのかを再度考え直すことにしました。
Q:ブランドの再構築に向けて、着手したことは?
ブランド再構築を考えた時に、最初に思いだしたのが、学生時代にバックパッカーなどで、ヨーロッパを放浪し、ドイツのビール工場や、ビアホール・パブでビールを飲んだ経験です。私はお酒が大好きですが、実はお酒に弱く、すぐに顔が赤くなります。ビールなら1リットルも飲めばもう十分だとわかっていたため、大ジョッキではなく、いろんな種類のビールを少しづつ選んで飲む!という、ある意味女性的な飲み方が、ちょうど良いと考えていました。ヨーロッパの飲食店にはたくさんの地ビールが並んでいますが、どのビールがどんな味で、どういう飲み方をすればいいのか、をウェイターやウェイトレスが説明してくれます。しかも、みんなが楽しそうに自分なりのこだわりや、熱意を持って教えてくれるし、実際に飲んでみると違いがわかるから、お客様も楽しい。
また、その頃、個人旅行がブームになってきていて、ビール好きの人が、リアルなビール文化を楽しめる機会も増えてきていました。ガイドブックを見れば、ベルギーはビールの国、英国に行けばビールは「エール」と呼ばれ、キンキンに冷やさずにパイントグラスで泡のない状態で楽しむもの。ドイツに行けば、ビアガーデン・ビアホールで、「オクトーバーフェスト」などの世界的なビールの祭典なども紹介されていて、徐々にそういったリアルなビール文化を楽しむ人が増えていました。
「小江戸」を捨て、「COEDO」にブランド刷新した瞬間
ビールには、日本人のようにジョッキでゴクゴクと飲む爽快感だけではなく、いろんな飲み方が存在します。また様々な味のバリエーションがあり、それぞれに職人のこだわりが存在する、とても面白い世界であると再認識したのです。
また、ビール業界には大手4業者を含め、そういったことを提案している会社が少なかったことにも気付きました。
現地の素材から、日本のビール好きに喜んでもらえるように、徹底的に美味さこだわり、様々なバリエーションのビールを提案して、お客様がチョイスできるようにしよう、我々のような小規模ブルワリーで提供すべき価値はこれだ!と、今までとまったく真逆のことをやろうと、2003年までの苦い経験から、さまざまな検証を重ね、整理してできた結論でした。
この新しい取り組みは、大手ひしめくビール市場で競争環境を産むのではなく、新しいビールの楽しみ方を提唱し、ビール業界全体を盛り上げていくという、共同関係になれるのでは?とも考えることができました。そのためには、地域制を前面に出した観光地型の地ビールでなく、ビールの本質を伝えるメーカーとして生まれ変わる必要があると考え、ブランドを刷新することにしました。
Q:COEDOビールが高い評価を受けている要因はどこにあると思いますか?
世界的に評価を受けているのは、日本人のものづくり。
手造りに対するこだわりやきめ細かさだと思います。
これは我々に限ったことではなく、日本人の性質、日本人が得意なことを意識してやっていたからかも知れません。
日本人は、欧米人のようにまったくゼロからの発明や、劇的なイノベーションを起こすよりも、既にあるものを、より高い精度に進化・発展させることが得意な民族だと認識しています。モノづくりに、一切の手を抜かず、愚直に、こつこつと研究・改善を繰り返す。我々はそれをビール造りという分野で実践してきたという強い自負がありますが、もともとはドイツから学んだ醸造技術です。それが世界の評価につながっているだけで、なにも特別なことをやっているという認識はありません。
Q:COEDOで展開する商品を5種類にしている理由は?
COEDOでは、『自由に選び、楽しむ』という、ビールの新しい楽しみ方・付加価値を提唱してきました。5種類にしている理由は、少なすぎず、多すぎずという考え方からです。2~3種類だと、選んでいる感覚を持てないですし、かといって、10~20種類だと選ぶことも、覚えることも難しい。「選択の科学」の実験でも実証されていますが、5種類程度は選び・楽しむのに最適なバリエーションだと考えています。あまりお酒が飲めない女性や私でも、5種類×150mlで750mlくらいならちょうどいいのではないでしょうか。笑
Q:クラフトビールは日本ではどんな人を中心に広がってきましたか?
年代、性別を問わず、旅行や、美術館、レストランなどでちょっと高いお金を払ってでも、美味しいものを趣味として楽しむ方々、いわゆるアーリーアダプター層を中心に広がってきたと思います。特に情報感度が高い都市部の方に、支持されてきましたので、今後もそういった方々から広がっていくと思います。また20代~30代といった若い年代の皆さんの考え方も変わってきました。昔のようないわゆるラグジュアリーブランド嗜好は既に廃れ、自分がいいと思ったものを買う、という意識が高くなっている人が増えていると思います。そういう方々は自分のライフスタイルにあったものを自分で決めて買う人であり、COEDOにも共感してくれるのではないかと、期待しています。
Q:ビール職人・ブルワリーの魅力とは?
ビール職人の魅力は巨大な生き物係になれること。
私は職人ではないため、職人としてその気持ちを語ることはできないかも知れませんが、ビール職人・ブルワリーの魅力は、“巨大な生き物係”であることだと思っています。最高のビールが育つように、工場、機械の掃除、素材の選び方、仕込みから、生き物である酵母菌の育て方(どう糖分を食べさせるか?)、環境管理まで、すべてを徹底的に研究して、この酵母にはこんなものを、このタイミングで、これくらい食べさせれば、美味しくなるなど、最適だと思うことをとにかくやり切る。それが美味しさとなって反映されること。
お客様の反響となって帰ってくることが、一番の魅力です。生産者の顔が見えて、お客様から「ありがとう」と言ってもらえる仕事。一生懸命いいものを作って、それを適正な価格で買っていただき、楽しんでいただく。もともと職人好きな日本人であればなおのこと、お客様とのこんな健全な関係はないと感じていただけるのではないでしょうか。
Q:COEDOの今後の展望を教えてください?
COEDOでは、かねてから「クラフトマンシップ」「クラフトビール」の飲み方・楽しみ方を提唱してきたため、この市場を日本の中で開拓してきた、という自負があります。COEDOがお客様に提案していること。ビール職人として美味しさを追及することを継続してやって行きます。日本人の特技であり、文化である、クラフト(職人)が造るビールの魅力を、多くの人に知っていただき、楽しんでいただくために、必要なことをすべてやり切ろうと考えています。
Q:同世代の経営者、これから経営者になろうとしている方へメッセージ。
どんな失敗も、無駄と感じることでも、
ポジティブに努力と挑戦を続けていれば、無駄になりません!
挑戦し続ければ、必ず道は拓けると信じています!
<記者:HIDE>
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